昨日、5月6日に、つくば市の旧筑波庁舎にて、「竜巻災害報告会」が行われた。黙祷のあと、市長や来賓の挨拶の後に、1年間の報告など・・・。その後に、意見交換の場があったので、私から質問しました。
「民間の協力の名簿に、なぜ「一般社団法人つくば市産業育成協議会」の名前が載ってないのか??」
思い起こせば、あの1年前の5月6日の災害発生からずっと現場に出っぱなしでした。その後5月10日に災害対策本部に呼ばれて、副市長から正式に災害復旧活動の要請を受けたのです。その後、約数ヶ月間の災害復旧活動が続きましたが、当団体の「一般社団法人つくば市産業育成協議会」の名前が、市の広報や報告会などにも一切、表示されませんでした。今回の1年後の報告会でも同じ内容です。私も会の代表ですので、あえて、言わなければなりません。市の資料では、ガレキの撤去では、「土浦建設業協会 つくば分会」が協力団体として名前が載っています。
じゃ実際はどうだったのか??これは、当会の「一般社団法人つくば市産業育成協議会」と「つくば分会」のメンバーで、協力し合って、誠に素晴らしい連携を取って、災害復旧作業に務めたわけであります。これが事実です。さらに災害復旧に携わった会社は延べ数にして、1800社あまり。その3分の2以上が、当会のメンバーだったわけです。つくば分会は、3分の1以下になるわけです。報告会の中の資料に「つくば分会」だけの団体名が載っていたら、当会のメンバーの中には、「私たちも災害復旧に携わったのに・・・?!」という声が出てくるのは当たり前の話だからです。
これは当時からあった問題でしたが、災害復旧が優先で大事な時に、そんな揉め事をしていては、被災者のためになんにもならないとの判断で、今まで、意見を封印していたわけであります。もう1年を過ぎて、ようやく反省会と報告の意味で、このような報告会を開催したとの趣旨と判断したので、きちんと意見を申し上げました。
私も何も「当会だけがやった」と言っているわけではないわけです。事実は事実です。ですからやはり市のこのような報告会などの市の対応については意見が出てくるわけですね。これは誰に何を言われようが言わなければならないことであります。
隣席の議員から「市民の声が優先だ!」との声がありましたが、私が議員だから止めなさいということなのか?批判も受けました。しかし、あのような大災害の後にどのように災害復旧作業をしていたのか?一般市民の方々にも知る必要はあると感じます。ましては、市の執行部も担当者も全部、わかっているわけです。なのにだれも本当のことを言わないわけですね。それに私は当時はまだ議員でもなかったわけで、一市民の一員でしたね。それと意見交換の場も、時間もホンの2~3問程度の質問で終わりました。何か形だけの報告会だったような印象もあり、少々残念だったのかな?所要もあり、途中で対座してしまいましたが、後味が悪かったですね。(もっとも私がずっといるとまた昔の話で、喧々諤々やるの嫌だったから、早く帰ってよかったです)
過去のマイナスの件は、あまりネガティブ案件で、これからの復興の明るい話をしたいのは、山々でしたが、やはり「言わなければならないとき」があるわけですね。
私の立場も因果なもので、もう運命なんでしょうな。
今夜は、早めに晩酌をしようと思います。
執行部はあくまでも協力し合っていただいた方々に、「誠意と感謝を申し上げたい」のみの回答だけです。